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ブランドの本質

家具は、どう思想からブランドになるのか

家具は、工場で職人の手によってつくられる実用的なプロダクトです。しかし同時に、その背景にある思想や独自の価値観が重なることで、単なる道具を超えた「ブランド」へと昇華していきます。本セッションでは、佐賀・諸富の「有限会社平田椅子製作所」を会場に、日本各地の家具産地から多様な思想を持つブランドが集います。それぞれが歩んできた道のりの中で、どのように独自の思想を育み、それを顧客に伝わるブランドとして成立させていくのか。多様な視点が交わされる現場から、これからの家具産業における「価値のつくり方」と「思想を届ける仕組み」について深く考えていきます。

開催日時

2026年7月8日(水) 15:30–17:00

場所

有限会社 平田椅子製作所(佐賀県佐賀市諸富町徳富118-2)

登壇者

樺島賢吾(レグナテック株式会社 代表取締役社長)
藤田哲也(株式会社カンディハウス 代表取締役会長)
北村卓也(日進木工株式会社 代表取締役社長)
ファシリテーター:平田尚二(有限会社平田椅子製作所 代表取締役会長)

樺島賢吾

藤田哲也

北村卓也

平田尚二

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ブランドの本質

レポート

“思い”は、どうブランドになるのか

旭川、飛騨高山に続き、「Japan Furniture Connect Program」第3弾の舞台となったのは、佐賀・諸富。会場となった平田椅子製作所には、カンディハウスの藤田哲也氏、日進木工の北村卓也氏、レグナテックの樺島賢吾氏という、旭川・飛騨高山・諸富それぞれの産地を代表するつくり手が集まった。ファシリテーターを務めたのは、地元・諸富で椅子づくりを続ける平田椅子製作所の平田尚二氏。テーマは「家具は、どう思想からブランドになるのか」。工場で職人の手によってつくられる実用的なプロダクトが、なぜ、どのように、単なる道具を超えた「ブランド」へと昇華していくのか。デザイナーとの向き合い方、そして「らしさ」の正体をめぐって、4人の経営者が本音で語り合った。

3つの産地のつくり手、それぞれの現在地

カンディハウス(旭川家具・藤田哲也氏)

創業59年目。北海道旭川市に工場を構え、製造約200名、グループ全体で約300名を擁する総合家具メーカー。社長就任以来オープンファクトリーを徹底し、今年5月の「Meet Up Furniture Asahikawa」では3日間で約1000名が来場、うち500名が事前予約制の「ファクトリーツアー」に参加した。2014年に1割に満たなかった国産材比率は、北海道産広葉樹の活用推進により昨年81.5%まで上昇、今年は90%を目標に据える。日本家具産業振興会理事、Japan Furniture実行委員長。

日進木工(飛騨家具・北村卓也氏)

今年80周年を迎える飛騨高山の家具メーカー。2019年、デザイナー・松岡智之氏との協業で「CHORUS」シリーズを発表して以来、北欧的なシンプル&モダンに日本の要素を重ねた開発を続ける。5軸NCルーターを持たず、コッピングマシンによる角ほぞ組みを基本とした、細くとも壊れない造形を強みとする。今年は80周年記念シリーズ「Ballett」を発表。一方で売上の7割は自社デザイナーによるロングセラー製品が占め、「ホワイトウッド」「ナチュラルウッド」など30〜40年続くシリーズを併せ持つ。

レグナテック(諸富家具・樺島賢吾氏)

今年で創業61年目。佐賀県佐賀市諸富町に工場を構え、45名の従業員のうち30名が製造に携わる。昨年9月、樺島賢吾氏が3代目として事業承継。「木と技術と場を通して人の幸せを作る」をミッションに掲げ、海洋プラスチックを使った椅子づくり、鍋島焼開窯350周年記念什器、吉野ヶ里に開業したスノーピークの施設向け店舗什器など、異業種とのコラボレーションを積極的に展開する。オランダのアーティストを招くクリエイティブレジデンシー事業も今年始動する。

平田椅子製作所(諸富家具・平田尚二氏)

1963年創業。佐賀県佐賀市諸富町に工場を構える椅子専門メーカー。世界的デザイナーのガブリエル・タン氏をディレクターに迎え、レグナテックと共同展開する「ARIAKE」、デンマーク人デザイナーと手がける「玄コレクション」、国内の暮らしに寄り添う「HIRATA CHAIR COLLECTION」の3ブランドを軸に、椅子文化の共創を掲げる。木をあしらった杖や車椅子の開発など、福祉領域への展開も進める。

問い1:デザイナーとどう向き合うか

契約を超えた関係が、ブランドを動かす

「仕事関係を超えて、もう一歩踏み込んだ仲になる。それが一番デザイナーと関わる上で大事なことだと思っています」(樺島氏)

「巨匠の原案のまま進めようとするメーカーもあると思いますが、カンディハウスは必ずぶつけ合って、よりいいものにしていきます」(藤田氏)

平田 ブランドを築き上げる中で、それぞれデザイナーとの関わりがあると思います。どういった形で心掛けているのか、まずは藤田さんからお聞きしたいのですが。

藤田 創業者自身がデザインをしていた会社で、初めから世界を目指してものづくりをしていこうということで、デザイナーとの関わりはもう50年近くになります。デザインがなかったら作れないのは、材料がなかったら作れないのと同じだという考え方で、デザインの価値は必ず原価計算に入れています。「RUNTOM」という椅子はデザイナーが80歳になるまでデザイン料を払い続けて、もう億単位です。80歳になった時にご本人から、もう十分いただいたからロイヤリティは北海道のものづくり、デザインに使ってくださいと言われて、今は財団に寄付をして学生を支援する給付型奨学金にしています。デザインが非常に重要な要素として、世界でビジネスを進めるうえでのものづくりのベースにずっとあります。

北村 うちはカンディさんとはちょっとスタンスが違うと思います。松岡智之さんのほかにも佐戸川清さんや川上元美さん、小泉誠さんといったデザイナーとの取り組みはあるんですが、会社全体の製品の7割は自社デザイナーが手掛け、そこが売上の核になっています。外部デザイナーによる「CHORUS」も「Ballett」ももちろん売っていきたいですが、日進木工といえば想像していただけるような息の長い自社オリジナルを、これからも作り続けていきたいと思っています。

平田 樺島さんは「ARIAKE」を通じて、そのあたりの距離感を体現してきたと思うんですが、いかがですか。

樺島 デザイナーとメーカーという立場である以上、そこには契約があり仕事関係が成立してしまうと思うんですが、「ARIAKE」ブランドの取り組みを通じて感じたのは、勇気を出してもう一歩踏み込んで、仕事関係以上の仲になることが一番大事だということです。ガブリエル・タンからは2日に1回くらい、夜にざっくばらんに「今こういう新作を考えてるんだけど、お前はどっちが好みだ」といった連絡が来ます。ネーミングも、こういう雰囲気を伝えたいからいい日本語を探してくれ、というやりとりをしたり。金銭が発生する関係だからこそ難しい面もありますが、一歩踏み込んだ仲のいい関係が、デザイナーと付き合ううえで一番大事なんじゃないかと思っています。

藤田 それはすごく重要だと思います。巨匠と呼ばれるデザイナーから来たものをそのまま作らなきゃいけない、というのは全然だめで、自分たちも深澤直人さんをはじめ巨匠と呼ばれる方々と仕事をしていますが、必ずやりとりをします。こちらの考え方もあるし、マーケットもある、ものづくりもある。本気でコミュニケーションを取らないと、一緒には作り上げられません。

北村 藤田さんに聞きたいんですが、深澤直人さんの「KAMUY」という椅子がありますね。深澤さんの場合、原寸のモックアップが送られてきて、それをそのまま作らなきゃいけないと聞いたことがあるんですが、そういう感じなんですか。

藤田 発泡スチロールのパーツが段ボールに入って送られてきます。それを弊社へのプレゼンの際にご自身で全部ピンで留めて、完全に原寸の椅子の形にしていましたね。我々としては基本的に、初めはそのままの形でモックアップを作ります。彼から「作れたね」と言われたので「作れますよ」と返すと、「大体のメーカーはそのままでは作れないんですよ」と言われました。そこから、こうしようああしようと変えていくんです。当社が実際に作ったものは座れますから、モックアップに座っていろいろ変えていく。そのままやろうとするメーカーもきっとあると思いますが、カンディハウスは必ずぶつけ合って、よりいいものにしていきます。

問い2:「らしさ」はどこに宿るか

無理に語らずとも、ものづくりに滲み出るもの

「各社各様の哲学があり、ポリシーがあり、アイデンティティがある。無理をせず、素直にメーカーとしての作り方でものづくりをしていくことだと思っています」(北村氏)

平田 思いや思想、価値をものづくりに作り込んでいくプロセスが、最終的にブランディングにつながっていくと思うんですが、皆さんの「こだわり」を聞かせてください。

樺島 意外と「自然体」でいくことが大事だと思っています。無理に「私たちはここにこだわっています」「これが強みです」と言わない方がいい。毎年海外に行っていろんなお客さんと話す中で感じるのは、さりげないところに出てくる仕事の本質を、いいバイヤーやデザイナーはちゃんと気づいてくれるんですよね。日本は島国なので、越境する機会がヨーロッパやアメリカの方たちに比べて少ない。彼らの商習慣における共通言語のフィールドにこちらがちゃんと乗っていないと聞いてもらえない感覚があって、自然体で入っていくと、日本のものづくりが裏まで仕上げる、細かい部分まで作り込む、というところに勝手に気づいてもらえる気がしています。

北村 樺島さんの「自然体」というお話、よく分かります。この設問は僕には難しいんですが、自分なりに言うと、いろんなメーカーのファクトリーツアーを見せていただく機会が増えていて、本当に各社各様、作り方も全く違うし、各社に哲学があり、ポリシーがあり、メーカーとしてのアイデンティティがすごくあると思うんです。無理にデザインに頼るのではなく、結局は自社で作れば自社の作り方になる。素直にメーカーとしての作り方、ポリシー、アイデンティティでものづくりをしていくことだと思っています。

藤田 北村さんの言うアイデンティティというのは、まさにその通りだと思います。ひと言でいうと、カンディハウスらしさが通っているか、ということだと思います。よく、図面でモックアップを作るとカンディハウスらしくなる、と言われますし、自分たちでもそう思います。工場のものづくりのプロセス、材料の使い方、ペーパーのかけ方、塗装の仕方、そういう歴史が積み重なって今を育てている。座り方や座り心地も全部チェックしますから、座面の角度なども含め、見えないところに「らしさ」があふれてくる。カンディハウスの工場で作ると、大体カンディハウスらしくなるんです。

平田 なんやかんや言いながら、そういう「らしさ」が出てくるんですよね。飛騨産業さんに柳宗理さんの曲げの椅子がありますが、いろんな会社が同じデザインに挑戦しても、見る人が見ると「匂い」が変わってくる。そういう「思い」がものづくりに表れて、最終的にブランドとして形になっていくんだなと思います。

藤田 曲木ができるかできないかだけでも、同じデザインを作るにしても全然違ってきます。できないカンディハウスであればスーパー成型で作りますし、できるメーカーは曲木で作る。それだけで、全部違ってくるんですよね。

問い3:「ARIAKE」に見る覚悟の力

場づくりから始まるブランド化

「それぞれのデザイナーの思い、現場の職人の思い。それが少しずつ形になって、結果的に一つのブランドに結実していく」(平田氏)

平田 レグナテックさんと平田椅子製作所が共同展開する「ARIAKE」は、今年で10年になります。樺島社長がレグナテックさんに入ってまだ間もない頃からのお付き合いですよね。

樺島 そうですね。うちの会長がシンガポールの展示会に連れて行ってくれたのが、私にとっての業界デビューでした。ガブリエル・タンに会って、当時は英語を喋れる人が誰もいない中で、それでもデザイナーがなんとかコミュニケーションをコントロールしてくれて。途中で衝突したり、アートディレクターが泣き出したりもしましたけど、平田会長とうちの会長のお二人が、一歩を踏み出す勇気と、続けるという決意と、なんとかなるさという楽観を持って、ずっと続けようとされていたのがすごく印象に残っています。損得だけ考えたら1、2年でやめる選択肢もあったはずなので。それをデザイナーたちも感じ取っていて、本気で向き合ってくれたんじゃないかと思います。

平田 始めた当初は、なんて無謀なことをと思いましたよ。英語でコミュニケーションが取れる人間が誰もいなかったので。途中から樺島社長が英語を習得して、今は樺島社長に任せっぱなしなんですが(笑)。ちょうどコロナが分岐点で、ストックホルムに3回出して、4回目をストックホルムにするかミラノサローネに挑戦するか、という時にコロナ禍になって一度休み、翌年、まだ蔓延している中でミラノに出展しました。

樺島 その時、日本だけPCR検査が必要な状況で、僕は何の症状もなかったのに検査したら陽性で。帰れなくてイタリアの病院に1週間延泊したのが思い出です。

平田 イタリアに2回出展した後、3days of designに今年で4回目の参加になります。3daysは、コロナ前はまったく知らなかったんです。メイン会場が存在せず、町全体が展示会場になるような形で、ファッション業界のパリコレのようなイメージを受けました。ところで、藤田さんはジャパンファニチャーの説明の中でも3daysの話をされていましたが、ジャパンファニチャーの企画はどなたが考えられたんですか。

藤田 自分が中心になって事務局で考えました。3daysに行ってみて驚いたのは、ものすごくオープンだということです。事前予約もなく、名刺も出さない。ミラノだと事前予約などの制約が多くて全然楽しくないんですが、3daysはお客さんがみんな楽しそうで、お昼はランチ、夕方はパーティー、朝はモーニングコーヒーとパン。こんなことでビジネスになるのか不思議でしたが、印象に残るような展示や発信をすると、後からビジネスにつながる。聞けば13年前、4社から始まったそうです。自分たちにもできるんじゃないか、とジャパンファニチャーのサンプルにしたのが3daysでした。

平田 ARIAKEのブランディングでも同じことを感じました。ストックホルムの最初の会場は、街の外れのアパートの3階。誰がどうやってアクセスしてくるんだと思ったんですが、蓋を開けたら前夜祭に50名ほど来てくれました。雑誌の編集長やスタイリスト、デザイナーのネットワークを通じて情報を知った人たちがSNSで発信して、輪が広がっていく。そういう展示会のやり方もあるんだなと感じました。

藤田 それはすごく刺激を受けて、今年旭川でも真似しました。お水をたくさん置いて、コーヒーも無料、夕方3時頃からお寿司も無料で提供したら、ものすごく好評でした。ウェルカムな環境を作ってコミュニケーションの場にすることが、やっぱり重要なんだと思います。

平田 ジャパンファニチャーも、そういう空気にしていきたいですね。

セッションを終えて

平田 いろんな形で「思い」が価値観に変化していって、ブランドとは、その「思い」を持った人の価値観をどう伝えていくか、その価値観に共鳴する人たちが少しずつ集まって、ファンを作りながら形づくられていくものなんだな、と感じました。「ARIAKE」も最初からブランドを狙っていたわけではなく、デザイナーそれぞれの思い、現場の職人の思いが少しずつ形になって、ガブリエルがうまくディレクションしながらまとめあげていった結果、結実したブランドです。

樺島 弊社と平田椅子さんの代替わりで「ARIAKE」もだいぶ若返った感がありますので、日本のブランドとして世界に一石を投じるようなことができればと思います。皆さんからの評価やご意見、ご経験をシェアしていただきながら、一緒に前に進ませていただけたら嬉しいです。

北村 このジャパンファニチャーの取り組みが、日本の家具がもっと海外へ出ていくきっかけになればと思っています。世界の中でも日本の家具は加工の技術が高く、レベルも高いはずなのに、まだ打ち出しが弱い。うちも何か挑戦していきたいですし、今日がそのきっかけになればと思いました。

藤田 ガブリエル・タンさんとは6、7年前から知り合いで、3年ほど前から一緒にビジネスやデザインをしたいと取り組み始めて、値段も合わずビジネスになりそうもなかったんですが、今回「TANKA」というラックを出したら、同じガブリエルさんのデザインなのに「ARIAKE」ではなく、ちゃんとカンディハウスらしくなっているんです。ブランドのイメージとはそういうことなんだろうと思います。ジャパンファニチャーの実行委員長として、少しでも理解して参加してくれる方が増えるよう全国を駆け回っていますが、まだ2年目で、すごいビジネスになっているかというとまだまだこれから。日本の家具のものづくりは世界に絶対負けていないので、3年、5年先を見据えて発信を続けていきたいです。

デザイナーとの関係を仕事の枠に留めるか、それを超えるか。ものづくりのプロセスに、無理せず「らしさ」を滲ませるか。そして、一つのブランドが育つまでの10年をどう歩むか──立場の異なる4人のつくり手が、それぞれの現場から同じ問いに向き合った諸富でのセッションは、「思い」が「ブランド」へと結晶していく道筋を、改めて浮かび上がらせるものとなった。

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